「インドネシア・スンダ世界に暮らす」感想2、生活の豊かさについて考える

前回の記事「インドネシア・スンダ世界に暮らす」感想1の続きです。

村井吉敬著、岩波書店「インドネシア・スンダ世界に暮らす」より、今回はインドネシアと日本の生活の豊かさについて考えてみます。

インドネシアジャワ島の農村風景
nasigoreng.blog485

日本とインドネシア、インドネシアは「貧困」だが「豊かさ」もある

インドネシアの貧困と豊かさについては、私自身もインドネシアを訪れる度に考えさせられています。
どう考えても経済的、物質的には「貧困」なはずでも「豊か」に見える日常の生活がそこにはあるからです。
もちろん私のような短期滞在者には、インドネシアのほんの一側面しか見えないのは事実です。
しかし、それを差し引いても考えさせられる現実があります。
本書にも同じような視点でインドネシアの貧困と豊かさについて触れられています。
注目すべきは、本書の内容は40年前のインドネシアについて書かれているという点でしょう。
つまり40年前の日本とインドネシアの関係性は、今に通ずるものがあるという事です。

以下、本書P136~137より一部引用します。
(注:以下引用中の35ルピアとは当時レートで約24円です。)

村で生活しながら、わたしは”豊かさ”とは何だろうかと、たえず考えさせられた。確かに人々の生活は貧しい。
~中略~
一人当たりの所得は一人一日35ルピアである。統計上の貧しさとわたしの実感する村人の実際の生活には、かなりのギャップがあるような気がする。
濃い緑、明るい太陽、ゆったりとした生活のリズム、呼ばれ呼び返す村人たちの祭礼、人との争いをなるべく避けたがる調和の意識、こうした様々な要因が実際上の貧困と、見かけ上の”豊かさ”の落差を埋め合わせているのだろうか。物質的な豊かさを追い求めるのに急であったわたしたち日本人は、”近代化の教え”をこうした国に「のたまう」だけでよいのだろうか。

続いて、本書P276より引用します。

チコネン村と東京とのあいだには、おそらく一人100倍にも及ぶ所得格差があるだろう。しかし、時として私はチコネン村に心の安らぎを見い出していた。無論、私はそこの定住者ではないかた、そんなのんきなことが言えるのかもしれない。ただ、貧しいが、村人たちの見せる実におだやかな、そして親しげな顔は、物質的に数十倍以上も豊かな東京には見当たらない。
~中略~
私達は物質的に豊かになるために、何かを失ってきたのではないだろうか。そこが、ものとカネのゆきつく必然の世界なのかもしれないが。
~中略~
私は、その戦いの結末をまたの日に見に行くことになるだろう。

本書には解説がついています。
解説によると、著者の村井吉敬氏はその後、インドネシアのパプアに20回以上訪れたと言います。(村井吉敬氏は2013年に他界されています。)
それについては「パプア―森と海の人々」に記されているようです。
こちらの本も読み次第、記事にしてみようと思います。

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